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読書を楽しむ「浮穴みみ 鳳凰の船」

DSC03053.JPG                                    代は徳川の世が終わりを告げ、明治新時代が幕を開けた頃                             続豊治は、若い頃、駆け出しの船大工だった。                                                 造船所の組頭と諸国をめぐる商用の旅に出たときに古都で木彫りの鳳凰の                               見事さに目を奪われた。                                                      旅から戻ると組頭がロシア国との密貿易の疑いで幕府から所払いを命じられた。                            豊治は仕事を失い船大工の職と縁を切り、30半ばから50半ばの20余年を                                仏壇師と生き、木彫りもした。                                                 箱館港に黒船がやってきた年に箱館奉行から洋船製造を命じら船大工に戻る。                                   齢61にして箱館稀代の船匠となる。                                                しかし、徳川の世が終わり豊治は齢71になり、また鳳凰を彫っている。                                        豊治は造船所の隣の自宅に一人住み、家のものと弟子たちは戦禍を                                          避けるために青森に避難させた。                                                 そこへ伊豆の戸田村の船大工・上田寅吉が訪ねてきた。                                           上田は下田にロシアの軍艦が来航して、地震による津波で軍艦が沈没し、                                 幕府からロシアの新船製造を依頼された人物だった。                             幕命でオランダへ行き、発注した開陽丸を日本まで廻航してきたが                                    徳川が終わり、船は沈んだ。                                                 時代の波に飲み込まれた船大工ふたりは、船談議に花を咲かせ、酒を                                        飲みかわし、船は沈むものだ、沈んだら、また造ると言い放つ。                              それが俺たちの仕事だ。船大工の心意気、読ませてもらいました。


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